教材演奏会の練習をしなければならないのにまたツェルニー等の練習曲にはまっている。最近ツェルニーだけでは飽き足らずモシュコフスキーやクラーマー・ビューローにも手を出す始末。
1日中やっていろ、と言われたらできるし、勿論やったことがある。至福の時間である。

大半の人々が嫌いで仕方がないという練習曲。特にツェルニーについては嫌いな人のほうが圧倒的に多いだろう。

そういう私もツェルニー、特に40番練習曲は死にたいほど嫌いだった。特にこの時期、バッハのインヴェンション後半からシンフォニアあたりを同時に学習させられるので二重苦になる。
40番練習曲、特に真ん中あたり、ほんとうに辛くてできなくて情けなくて練習しながら鍵盤や膝に涙がボロボロこぼれた。毎日毎日が鉛色の苦行である。

バッハも同じくらいの苦しみだったのでまあ考えることはただひとつ「辞める」という選択である。この苦行から解放されたら毎日がどんなに楽だろうか?近所で遊んでいる幼馴染たちはこんな苦行を行っていないのでただただ羨ましく、最終的にはピアノやツェルニーの譜面を見ると吐き気に襲われるところまで来た。

親に「辞めさせてほしい」と言いかけたとき、今後の自分について考えた。「ピアノを挫折した、それもツェルニーやバッハが原因」が一生まとわりつくのである。私のピアノが上手だと褒めてくれていた近所の人や学校の先生や友達にこの恥ずかしい事実を伝えることを考えたら近所は歩けないし、学校にはもう行けなくなる、と思った。これはダメだ!自分のプライドが許さない!

と、いうことで、辞められないならばやるしかないのである。アレを乗り越えたのは向上心でも何でもない、プライドだった。

連日の憂鬱な反復練習を続け、ツェルニー40番やインヴェンションを何周もした。そして、ある時ふと気がついたのはいつのまにかこれらが好きで好きで仕方なくなっていたことだ。

きちんと綺麗な音でパッセージが進行する喜び、粒が揃う美しさ。この効果はソナタなどを弾くと明らか。仕事をポップスにフィールドを移した時も、揺るがず自信を持って楽曲に集中できた。

しかし、ここまで弾き続けても自分のツェルニーやバッハの現在の出来については不服である。もっと使われていない筋肉を開発すべきだと思うし、音の粒を清潔にしたい。艶めきが足りない、というべきか。

練習曲を嫌いになる前に至ってシンプルな音色を磨く、揃えるという作業について考えるべきだと思う。白色のご飯がおいしいようにそこに深い味わいがあり、
ピアノ弾くにあたっての根本的な精神にアプローチできるのではないだろうか。

明日も練習曲の楽譜を開くのが楽しみで仕方がない。。。

🎵ビバーチェピアノ教室
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尾崎陽子

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